「コントが始まる」と推しに救われること/ドラマレビュー
菅田将暉主演のドラマ「コントが始まる」が6月19日、最終回を迎えました。
売れないお笑い芸人のトリオが解散をするまでの物語で、ほろ苦い展開の中、最終回で感じさせたのは「推しに救われること」で…
「コントが始まる」と推しに救われること/ドラマレビュー
推しは特別な一輪のバラ
トリオ解散後、高岩春斗(菅田将暉)が中浜里穂子(有村架純)と、公園で会いました。
中浜さんが待ち伏せしていたのですが、どれだけお笑いトリオ「マクベス」に救われたのか、感謝を告げました。
春斗は、自分らが解散しても
「他にもっと面白い芸人さんたくさん いらっしゃいますので、お探しすることをおすすめしますよ。」
と、中浜さんを慰めたのか、それともテレなのか、他のお笑い芸人を勧めます。
中浜さんは答えます。
「今後…どんなに面白い方たちが現れても、私にとって、マクベスのお三かた(=3人)だけは特別なんです。頑張ってる姿も悩んでる姿も、もがいてる姿も見てしまってますし…私、個人的には一番苦しい時を支えてもらいましたので。」
代わりはいないんですよね。マクベスはマクベスだけなんです。
これって「星の王子さま」を思い出しませんか?
あのバラは、たった一輪でも、キミたち全員よりも重要なんだ。
なぜなら、ボクが、水をやったり、ついたてを立てたり、ガラスの器をかぶせたりして世話をしたからだ。
キツネと友達になり、何千本も咲いているバラをもう一度見に行った王子さま。
そこで王子さまがバラたちに投げかけた言葉です。
何千人といるであるお笑い芸人。
しかし王子様が水をあげたという関係性があるように
私の苦しみを救ってくれたという関係があるお笑い芸人は、マクベスだけ。
という中浜さんの想いですね。
手をかけたから特別なバラになった。
熱心に推したから特別な芸人さんになった。
ということでもあります。
推しはこれからも存在する
中浜さんはこう続けます。
「マクベスが解散してもあなた方が精魂込めて作り上げたコントはこの世から消えることはありません。動画としてもしっかり残り続けるでしょうし。何よりファンの記憶の中にしっかりと 残り続けて行きます。私はこれからも…あなたが書いたコントに、あなた方が作り上げたコントに何度も助けてもらうことになるでしょう。もしかしたら笑って見る機会よりも泣いて見てしまうことのほうが多いのかもしれません。それでもお約束いたします。これからもファンで居続けることを。マクベスに出会えて本当によかったです。」
私(筆者)は、三浦春馬さんが亡くなった時に、彼が残した作品を愛し続けようと思いました。そうやって気が狂いそうな心境をどうにかしていました。
芸人の解散と比べるのはどうかとは思いますが、もう見られないけれど、残った作品を愛するという意味では同じかな、と中浜さんのセリフを聞いて思いました。
芸人に限らず、アイドル、アニメ、映画作品などのエンターテインメント作品…なんでも「推し」てるものは、「生きていく」ために重要です。
世知辛い社会で生きていく時、推しに救われることがあるので…。
推しは命にもかかわる
推しといえば、小説「推し、燃ゆ」も思い起こされます。小説の中で、「推しは命にかかわる」という表現があったのですが、推しの炎上でファンの精神が危ないという意味。いや、ファンの後追い自殺なんてのも聞くので、実際の命も危ないという意味でしょう。
小説では、推しにのめりこみすぎていく展開でした。
「コントが始まる」での、中浜さんのような感じはファンの見本だと思います。アルバイターから正社員として復帰したのですから。
小説「推し、燃ゆ」とドラマ「コントが始まる」を比較してみると違いがあって、面白いです。
ひとりの人に深く刺さった
最後に「コントが始まる」は様々な観点から考察できるドラマでした。
コントとドラマ本編の繋がりから、セリフの意味などを後から察して余韻に浸るなど、深く見ればさらに楽し目るドラマ。
もちろん、さらっと見ても面白いとは思うのですが、ちょっと暗さ・切なさもあったかもしれません。だからなのか視聴率は低かったのです。残念です。
しかし、最終回で、高岩春斗がこんなことを言っていましたね。
「100人の人に見てもらえたらそりゃ うれしいですけど…。一人の人が100回 見てくれることも同じぐらい うれしいことで。もしかしたらそれ以上に ありがたいことで。一人の人がちゃんと見てくれてると分かっただけで…。俺たちみたいな人間は頑張れるんですよ。やって来た努力が無駄じゃなかったなって思えるんですよ。だから 感謝してます。」
「コントが始まる」こそ1人の人に深く刺さったドラマだったなと思います。
当記事画像出典:https://www.ntv.co.jp/conpaji/
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